昭和4年1月27日東京都に生れる。同25年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年、ヤマト運輸株式会社に入社。以後、運輸畑ひと筋に歩む。
支店長を経て同48年取締役、常務取締役関東支社長、営業開発本部長、営業本部長、専務取締役を経て、同62年社長に就任。平成3年に会長、その後相談役をつとめ、平成7年退任。その間、東京路線トラック協議会会長などを歴任。現在、ヤマト運輸社友会会長。
常務時代の昭和51年に、反対する労働組合を説得し、当時の業界常識を破った国内初の「クロネコヤマトの宅急便」を開始した。厚い壁であった許認可問題等で、運輸省・郵政省・警察庁と折衝しながら、規制とたたかい、遂に47都道府県の免許を取得することによって全国翌日配達のネットワークシステムの基を作り上げた。
宅急便の取り扱い数量は、初年度170万個に過ぎなかったが、平成18年度は12億個を超し、ゆうパック・ペリカン便を大きく引き離して業界トップの位置を占めている。常にお客様の立場に立ったサービスを考え、ゴルフ宅急便・スキー宅急便・クール宅急便・コレクトサービスなどの時代のニーズに合った企画を次々に投入した。
平成2年に大ヒットしたアニメ映画「魔女の宅急便」の制作も手がけた。趣味はマジックで、東京アマチュア・マジシャンズクラブの17代会長をつとめている。榎本健一の甥。
これからの経営のあり方について、豊かな経営実践に基づき失敗談を含めながらのユーモアあふれる講演をする。
| 昭和25年10月 | 大和運輸株式会社 (昭和57年10月ヤマト運輸株式会社と改称)入社 |
| 昭和44年 3月 | 同社 開発部長 |
| 昭和46年 2月 | 同社 路線部長 |
| 昭和48年 3月 | 同社 取締役 |
| 昭和49年 2月 | 同社 常務取締役 |
| 昭和50年 4月 | 同社 常務取締役関東支社長 |
| 昭和52年 2月 | 同社 常務取締役営業開発本部長 |
| 昭和56年 4月 | 同社 常務取締役営業本部長 |
| 昭和58年 2月 | 同社 代表取締役専務 |
| 昭和62年 6月 | 同社 代表取締役社長 |
| 平成 3年 6月 | 同社 代表取締役会長 |
| 平成 5年 6月 | 同社 取締役相談役 |
| 平成 7年 6月 | 退任 |